[パリ旅行記]

パリは上天気だった。
この時期、こんなに毎日晴れてて暖かいのは珍しい。
まあ普段のおこないだな、と夏目と話してたんだけど、
そのくらい天候には恵まれた旅行だった。
セーター一枚と、薄いウールの上着を着ればどこでもいける程度。
快適な気候だった。

10日。
ひとりで夕方のパリに着いた。
空港にハイヤーが迎えにきて、
名前を書いたカードを掲げてるという話だったが、
漢字かなあ、ひらがなかなあ、アルファベットかなあ。
と思いつつトランク下げてイミグレーションを出たら、
若いガイジンが「いしかわじゅん様」と書いた紙を掲げて立っていた。
声をかけたら、もうひとり、パリの日本文化会館の高須さんという女の人がいた。
いっしょに車に乗って、ホテルに向かうのかと思ったら、
BDエキスポにいきませんかという。
BD、つまり、バンドデシネだ。
バンドというのは帯、デシネはデッサン。
フランスの漫画だ。

ちょうどこの日、BDエキスポが開かれていて、
その中で、コミケットもおこなわれているという。
今フランスでは、日本漫画はかなりのブームになっていて、
フランス人の若者が、日本の漫画の同人誌を出して、
その上コスプレまでやっているのだ。
BDはもう、いい年の大人しか読まなくなってしまったが、
日本の漫画は、若者が好んで読んでいる。

会場にいくと、先のりで夏目房之介がきていた。
彼が中心になって、今回の展示をまとめたらしい。
ご苦労である。
いきなりコスプレの表彰式に引っ張り上げられて、
フランス人のセーラームーンなんかに賞品を渡す係をやる。
なんだか状況がわからないが、
とりあえず日本の有名な漫画家がきたと紹介はされたらしい。
みんなスタイルがよくて、ベルバラやらビデオガールやらが似合うったら。
それにしても、ガイジンがなぜ、日本人のキャラの漫画を描いて
同人誌なんか出してるんだ?
フランス人のキャラで描けばいいじゃないか。

フランスのBDは、危機にある。
このBDエキスポにも、客がほとんどきていなかった。
BDエキスポのほうには、50代60代の人が10人くらいいるだけだったが、
日本漫画のコミケットのほうには、20代の若者が数百人詰めかけて大騒ぎしていた。
BDは、全盛期にどんどん客の年齢層が上がっていき、
絵も内容も難解になっていき、それにともなって子供が離れていった。
当然、部数も減り、発行点数も減っていく。
かつて、70年代に日本も少年漫画のレベルが上がり、子供離れが起きたことがあったが、
日本のケースでは、すぐ揺り戻しがあって、また対象年齢層を下げた。
フランスでは、子供が切り捨てられたまま、そこに入ってくるべき子供漫画が現れてこなかったのだ。

日本漫画はアニメという形でフランスに入り込み、子供の心に入りこんだ。
フランス人の子供は、日本アニメを日本製だと知らずに刷り込まれ、
成長していくある時点で、それを知り、中には日本漫画を読み始める人も少なからずいる。
フランス人のBD離れは、確実に進んでいるのだ。

フランス人の漫画を研究しているグループや、
マニアに囲まれて、英語とフランス語でいろいろ話すんだけど、
とにかく人出が多くてうるさくて、聞き取れない。
俺は今日本からきたばっかりで、空港から直行したのに、
ちっとは休ませてくれー、と思いつつ、そのまま晩飯に突入。
それからホテルへ。
メトロのDupleix駅前、メルキュールホテル。
☆3つの、こじんまりとしたホテルだ。

次の日、11日は、午前11時に日本文化会館に集合して、打ち合わせ。
シンポジウムと展示の会場は、さすがにオシャレ。
打ち合わせの合間に、控え室でひとりで休んでたら、
廊下を通り過ぎながらちらりと部屋の中を覗いた小太りのオヤジが、
慌ててばたばたと戻ってきて、
「いしかわさ〜ん」といいながら飛び込んでくる。
館長の磯村尚徳さんだった。
都知事選以来、久しぶりに見るなあ。
漫画の話をしばらくして、昨日BDエキスポで、
フランス人がコスプレをやってたという話をしたら、
いきなりメモ帳を取り出して、ふむふむなるほどコスプレというんですか、
ほほーコスプレイヤーね、と書きこんでいた。
どこかでネタに使うつもりだな。

展示会場で、インタビューを受ける。
といっても、プレスがぞろぞろ入ってきて、どんどん話しかけるが、
誰が誰やら、当たり前だがさっぱりわからない。
70近い婆さんや、若い女の子が、いったいどこのなんなのか、
全然わからないまま答えまくる。
フランス語しか話さない人とは通訳を介してフランス語で、
英語を話す人とは英語で。
日本語を話すジャーナリストはいなかったなあ。

誰か一人の取材を受け始めると、人が集まってきて、
丸い輪になってどんどん質問をしてくる。
俺の英語に期待するなー! と心の中で叫びつつ、
いい加減な英語でいい加減な話をする。
あとで聞いた話によると、この日来てたのは、新聞雑誌の記者と、
漫画やBDについて書いてるライターがメインだったらしい。
テレビ局もきていて、ビデオ取材を受ける。
そうだ、このディレクターは、多少日本語が話せたんだ。
まあぼくの英語くらいだったから、大した日本語じゃなかったけど。

夜はパーティ。

日本語を話せる人も、少しいる。
ぼくはフランス語はほとんどわからないんで、主に英語を話す。
久しぶりに英語を使うんで、苦労する。
大学で日本漫画を研究している人が何人もいるんで、ちょっと驚く。
ソルボンヌの院生の女の子は、筑波にも籍を置いて、
60年代のガロを研究してるという。
なんだか不思議なことになってるなあ。

ちょっと体の表面がぴりぴりしてることに気づく。
喉も、唾液をのみこむと、ちょっと異物感がある。
微熱がありそうだ。
飛行機の中は湿度ゼロだから、アジア内くらいならともかく、
ヨーロッパまで長旅すると、喉を傷めたり風邪を引いたりしがちだ。
でもまあ、大丈夫だろう。

パリの日本文化会館は、エッフェル塔の脇にある。
セーヌとエッフェル塔を従えた、いい場所だ。
ホテルからメトロの線路に沿ってひと駅歩くと、
エッフェル塔の手前でセーヌ河に出る。
そこで右折したところが、会館だ。

11日は、カクテルパーティのあと、どこかで飯にしようと、出かけた。
自費でロンドン経由でやってきていた、けらえいこ夫妻と共に、
フランス料理屋で、遅い夕食。
でもパリでは、みんな食事に時間をかけるので、
遅くなっても、特に文句はいわれない。
メニューもゆっくり選ばせてくれる。
腹が減ってたので、魚と肉を食べた。
味は、まあまあ。

12日は、いよいよシンポジウムだ。
4時に集合することになっていたのだが、起きたら、どうも体調がおかしい。
熱があるようだ。
とりあえず、食事を摂ることにして外に出る。
ついでに散歩することにして、ホテルの近所をうろつく。
小さな街で、大した店や建物はない。
でも、どこを見てもパリの街だ。
ここらへんは、メトロも地上を走っている。
高架の線路も、鉄と煉瓦が美しい。
サンドイッチ屋で、サーモンサンドとポテトサンドと注文する。
ついでに、スプライトが棚にあったので、
「スプライト」と指差して注文したが、首を捻られてしまった。
フランス語読みだと、スプリテか?
でも最後の母音の前の子音で終わるような記憶もあるから、スプリットか?
なんにしろ、指差してんだからわかりそうなもんだ。

メトロ3駅分歩いて、パシーに出る。
16区の高級住宅街だ。
ぶらぶらしてると、「オースチン・パワーズDX」の広告があった。
こっちでも流行ってるんだろうか。
美しい街並みに石畳。
黄葉したマロニエが、背の低い建物の上の空を彩る。
計算された街だなあ。
フランス人の女の子で、東京の街並みは綺麗だっていってた子がいたが、
気持ちはちょっとわかるかも。

3時ころに、エッフェル塔の前まで戻って、
公園のベンチで、今日話すことを考える。
日本の漫画の現在の話にしよう。
たぶん、夏目ともうひとりが、漫画の概況については話すはずだから、
ぼくは具体的な話にしよう。
だいたいの構想を固めて、会館へ。

4時に会館に入って、ついでに展示会場を覗いてみる。
これから3か月にわたって、日本漫画の展示会が開催されるのだ。
短編に限定されてはいるが、日本漫画の、まだ紹介されていない部分の多くが、
原稿の形や、雑誌発表時の形で展示されている。


展示されてるのは、「フロムK」
会場で簡単な打ち合わせ。
夏目の使うOHPが、あんまり使えないことが判明。
担当技術者が、ものすごくプライドの高いやつで、絶対に変更を認めようとしない。
でも、使いにくいんだよなー。

時間がちょっと余ったので、30分ほど外に出て、カフェでお茶にする。
パリのカフェは、日本の喫茶店よりも、もっと簡便だ。
小さなテーブルに、コーヒーでも食事でも、何でも乗っける。
あらゆるところにあって、値段は、100円から400円くらいかな。
それから、さて、本番だ。

シンポジウムの会場には、階段状の客席と、正面のスクリーンがある。
OHPで映したものが、講師席うしろの大スクリーンに投影されるようになっている。
ところが、映してみると、ぼけていて、なんだかよくわからない。
夏目は、伴大納言絵巻を映そうと思っているのだが、
元々古くてぼけた絵なので、ますますわからない。
いろいろ調整したが、結局それ以上よくはならず、
諦めてそのままぼけた絵を映すことになる。
これは夏目のツカミに当たるとこだからなあ、ちょっと心配。

客席が埋まり、シンポジウムが始まった。
客はほとんどフランス人の、BD評論家や研究者、
そして、新聞雑誌のライターだ。
多少アマチュアの漫画愛好家もいるらしいが、
どういう基準で入れたのかは、よくわからない。
夏目が、伴大納言絵巻から日本漫画の話を始めるが、やはり反応が薄い。
これをご覧ください、という絵が見えないんだから、盛り上がらないよな。
まあ後半、現代日本の漫画の話になって、やっと客が興味を示してくる。
こっちから入ったほうがよかったかもしれないなあ。

次に、川崎市民ミュージアムのキュレーター、Hが話し始めた。
その途端、客がばたばたと倒れ始めた。
もうあちこちで、客が居眠りを始めている。
OHPを使う関係で、場内が薄暗く、眠るにはちょうどいい照明なのだ。
これではいかん。
せっかくきてくれた客を、満足させないで、なにしに日本からやってきたんだ。

ぼくの番になった。
Hが、終わりかけに、週刊誌で描かれたものは粗製濫造で
ガロ等の月刊誌でじっくり描かれたものはいいできだというような
抜けたことをぬかしたので、
「彼のいったことは間違っている」といきなりかましたら、
客が一斉に目を覚ました。
よーし、これで掴んだぞ。
あとは、思い通りにフランス人を引っ張り回して受けを取ったのであった。
やっぱり、大事なことはいった上で、受けなくちゃなあ。
ところで、週刊誌とマニア月刊誌とでは、描かれたものの種類が違うだけで、
質とは関係ないと思う。
漫画を扱うキュレーターが、そんなくだらん認識ではマズイんじゃないかなあ。

ここで話してる間に、実は、熱はどんどん上がり始めていた。
Hが話してるのを聞いてる間も、体がガクガク震え始めた。
上着を着たままだが、寒くて脱げない。
この震えは8度近くなったな、とは思うが、本番中ではどうしようもない。
自分の番がきたら、もう熱のことなんかすっかり忘れて話したが、
すべて終わって椅子を引き、客に挨拶をしたら、震えが止まらなくなった。
遅刻してきたけらえいこたちと話しながら、
こりゃまずいなあとぼんやり考える。
文化会館の人に、なにかアスピリンのようなものをくれるように頼んだ。
はたして効くだろうか。

通訳をやってくれた国立東洋言語文化研究所のラショウさんや、
日本漫画の研究をやっているイランくん、
その他フランスで日本漫画に関わっているフランス人や日本人大勢と、
近くの中華料理屋で打ち上げを始める。
腹が減っていたので、どんどん取ってどんどん食べる。

イランくんもラショウさんも、日本語がかなりうまいが、
必要以上に丁寧語を使うので、かえってわかりにくい。
となりに座った女子学生は、ぼくより下手な英語しか話せない。
こないだライブハウスで日本のバンドを聞いたというのだが、
なんとかTVという、ぜーんぜん知らないバンドだった。
ふと気づけば、その場にいるフランス人の誰も、フランス語を話していない。
日本語か英語だ。
フランス人同士、日本語で話したりしている。
なんだか妙な光景。

午前1時ごろ部屋に戻った。
もう寒くて、体の震えが止まらない。
部屋の温度を上げて置いて、熱い風呂に入る。
火傷しそうな湯温なのに、首までつかって震えている。
出てきて暖かい絹のパジャマを着たが、震えはおさまらない。
室温を35度に上げて、布団をありったけかぶり、
バスタオルとコートをその上からかけて、やっと震えが止まった。

うーん、こりゃ久しぶりに39度コースだな、とは思うのだが、どうしようもない。
あとで考えてみれば、フロントに電話して氷でも持ってこさせるか
せめて熱さましでも貰えば良かったんだけど、
頭がぼけてて思いつかなかった。
とにかく眠ってしまおうと思って目を閉じるが、うとうとしては目が覚める。
汗をかいて体温を下げたいんだけど、汗が出ない。
時々起きあがり、水を飲んでは濡れタオルを頭の下に入れる。
そのうち朝になってしまった。

この日は、目の前のメトロ高架下に市場が立つので見に行こうと思っていた。
11時ころまでベッドにいて、それから着替えて外に出る。
ホテルの前から、食料品を中心とした市場が、ずーっと続いている。
体に力が入らなくて、早く歩けない。
人混みをすり抜けて、ゆーっくりと、茶坊主人形のような足取りで、
市場を端から端まで歩く。

野菜や果物が美味そうだ。
キノコは、部屋に台所があれば料理してみたいくらいだ。
新鮮な苺とブルーベリーとトマトを買って帰る。
冷蔵庫に放りこんで、もう一度寝る。
今日は、午後7時に、けらたちと高級フランス料理を食べにいく約束がある。

6時前に目覚めた時には、かなり熱も下がっていた。
たぶん7度5分くらいだったのではないか。
午前中、市場を歩いた時には、まだ8度台で体がふわふわしていたが、
もう普通に歩ける。
よーし、もう大丈夫だ。
ぼくは比較的、熱には強い。
7時にフロントで待っていたら、国際交流基金の岡部さんとばったり出くわす。
彼女は明日の朝早く、ロンドンに発つらしい。
ほんとは、今晩どこか夜遊びにいこうと相談してたのだが、
体調悪し。
また東京で会いましょうと挨拶して別れる。

フロントでタクシーを呼んでもらい、けら夫妻とレストランに向かう。
場所はどこなんだか、さっぱりわからない。
けらたちは、わざわざ日本から予約していったらしい。
そんな面倒なことは、ぼくにはできない。
アルページュといったか、予約しないと入れない、超高級レストランだ。
内装も照明も非常にシックで、
ウェイターも、額の狭い髪の黒いラテン系のハンサムを揃えていた。
味は、まずまず。
最初に頼んだトリュフのスープがとんでもなく美味かったので
後も期待したのだが、それが一番美味かった。

ゆっくり食べて、12時過ぎまで話して、外に出たら、まだ体が震えていた。
でもまあ、ゆうべにくらべればずっと楽だ。
タクシーで部屋に戻り、小説を読もうと思ったのだが、
ちょっとぼんやりしてて、頭が働かない。
仕方ないので、明日の予定を考える。
誰かに聞いて、BDの本屋にいってみよう。
ついでに、カルチェ・ラタンのあたりを散歩しよう。

14日、朝起きると、体がだいぶ軽くなっている。
まだたぶん、7度くらいはありそうで、皮膚の表面がぴりぴりする。
喉が少し腫れている。
朝食を摂りに、ビュッフェに行くと、夏目房之介とばったり会う。

ぼくは2階、彼は4階だったか5階だったか。
フランスはイギリスみたいに、日本でいう1階を数えない。
その上それを、0階と呼ぶので、どうも混乱する。
ぼくは下から2番目の階の1階にいるわけだ。
「俺の部屋は、窓からエッフェル塔の上半分が見えるよ」と自慢される。
ぼくの部屋からは、頭しか見えない。

BDの本屋の場所を教えてくれ、といったら、
俺もいくから文化会館に聞いてみよう、ということになった。
そっちはまかせて、のちほどロビーで、と別れる。
昼前に落ち合い、いっしょにメトロに乗る。
おとといだったかの夜、
文化会館のそばの飯屋からホテルまでいっしょに歩きながら、
俺たち、20年近いつきあいだけど、20年前には、
ずっとのちに夜中のパリの街をいっしょに歩いたりするようになるとは、
夢にも思わなかったなあ、といって笑った。
まったく、人生どうなるか、わからないもんだなあ。

夏目房之介といっしょにメトロに乗ろうとしたら、
ホームで、通訳をしてくれたラショウさんとばったり会う。
やあやあと話していたら、今度はラショウさんの生徒と会う。
今晩、いっしょに飯を食おうと約束して別れる。
サンジェルマンとカルチェ・ラタンのちょうど真ん中あたり、
クリュニー・ラ・ソルボンヌに、BDを中心に置いている
Libraire d'imagesという本屋がある。
一階がBDの新刊と、時計やフィギュアなんかのグッズ中心。
地階はバックナンバーと、日本漫画の売場。
日本漫画は、翻訳されたものも、
日本で売られているものをそのまま輸入したものも、両方ある。
BDにはエロ漫画もあるが、それはレベルが極端に低い。
タイやフィリピンの漫画のような、くせの強い漫画ばっかりだ。
BDエキスポで、かなりうまいエロ漫画を見つけたんだけど、
買う間もなく撤収されてしまった。
あれを買っとけば良かったなあ。

日本漫画は、こちらでもはやったものばかり。
アニメで流行ったものの原作が本でも売れるという図式があるらしい。
グレナというBDの大手が、やっぱり日本の漫画もたくさん出している。
でも、日本漫画出版2番目か3番目のトンカムという会社には、
ドミニク・ヴェレという変なオッサンがいて、
このオヤジが、実はフランスの日本漫画を支えている。
ややマニアックなものも、個人的趣味で出している。
やっぱり、なんでも、究極的には個人だね。
ヴェレは、いつもキャップを被ってニコニコしてて、
ちょっと足りないオヤジみたいだけど、
フランスにおける日本漫画のキーパーソンだ。

夏目とは本屋で別れて、しばらくサンジェルマン近辺の街をぶらついてたら、
また表通りの街角でばったり会ってしまった。
ちょっとお茶でも飲むかということになり、
夏目は軽食を取りたいというので、それらしいとこを探すのだが、
さすがに観光地なので、カフェもいまいち。
裏に入って、料理メニューが出てるとこに入ってみたら、
なんだか最悪のとこだった。
ドアはガタついてて開かないし、
店内にはハリウッドスターの写真が意味もなく張ってあるし、
ついでに、軽食がない。
夏目は仕方なく、エビ料理を頼んだら、これがデカイ。
ぼくはコーヒーを飲んで、難を逃れた。

夏目とは、あとで日本文化会館で会おうということにして、店の前で別れた。
ぼくはそのまま、パンテオンから、ムフタール通りに向かった。
狭くて小さい店が並ぶ通りだ。
小さいBD書店がいくつかあった。
日本漫画は、ほとんどない。
ブームといっても、やはり、まだ一般的にはマイナーな存在のようだ。
BDは、ごく普通の形としては、ハードカバーの薄い本だ。
たとえば、「ひとまねこざる」シリーズなんかの形を想像していただければ、
ほぼ正しい。
オールカラーで、アシスタントはほとんど使わないで仕上げられる。
フランスでは、どちらかといえば、アートとして扱われているようだ。
BDエキスポで原画が大量に売られているんで驚いたが、
ファインアートやイラストのように、漫画もまた、フランスでは、
売られることを前提として描かれているようだ。

ムフタール通りを、ゆっくり南下した。
食料品店にアクセサリー屋、文房具屋にお菓子屋、
普通の店が並ぶ通りだ。

まだ体が本調子ではないので、ゆっくり歩いて、時々休む。
カフェでウェイターと話すのが面倒なので、街角に腰掛けて休む。
犬を引いた人が、たくさん横を通りすぎてゆく。
犬は特に騒いだりしないし、店の前につながれてても、吠えない。
しつけがしっかりしている。
ただ、パリには、犬のウンコがいっぱい落ちている。
犬のしつけはしっかりしているが、人のしつけはできてないようだ。

地元の人や学生がうろうろしているムフタール通りをずーっと下り、
そのうち、自分がどこにいるのかわからなくなってきたので、
適当に広い通りに戻って、メトロに乗る。
パリは、500メートルおきにメトロの駅があるんで、非常に便利。
初日にメトロの12枚つづりを買っといたんで、いちいち買わなくてもいい。
結局、何枚か余っちゃったけどね。

4番から6番にメトロを乗り換えて、Dupleixのホテルに一度戻る。
ロビーでキュレーターのHと夏目がお茶を飲んでいた。
Hがひと足先に帰国するというので、また会おうと挨拶して別れる。
夏目とまたいっしょに、BirHakeimの文化会館へ。
正面にエッフェル塔。

まだ、普通の客が普通に見てるとこを見てなかったので、
今日は、一般展示を見にきたのだ。
ついでに、けらえいこから、
「あたしんち」の新刊を会館のスタッフにことづけられてたので、それも届けた。
展示を見ていたら、会館のエライ人が挨拶に来たが、なんだか嫌なやつ。
エリート意識が丸見えで、すごく不愉快。
文化会館あたりで、なぜ、と思ったら、あとで外務省の人間だということがわかる。
不愉快に感じたのは僕だけなのかと思っていたら、
夏目も同じ感想だったことが、これも後で判明。
まあ、やなやつは、どこにでもいる。

会場をうろうろして、何人かに話を聞いてみる。
みんな日本漫画にすごく興味を持っていて、自分でも描いてるやつもいる。
年齢も、20歳前後から老人まで、幅広い。
入場者の出足もいいようだ。
可愛い東洋系の女の子が展示を見ていた。
首に日本の5円玉をかけていたので、ちらりとみたら、
すごく話したそうにしてるので、
英語は話せるか、と聞いてみたら、いきなり、
BDエキスポに私もいっていた、そこであなたを見かけた、
人が多かったのでわからなかったかもしれないが、客席に私もいた、
というようなことをまくしたてる。
ちょっとおいで、と夏目のとこに連れていったら、
夏目は夏目で、若い学生風の男と話している。
みんな、日本漫画が好きなのだ。
彼女は、ニューカレドニアの出身だった。
1年前にパリの大学に来た。
人種としては、中国系だ。
Mai−Lanという名前だったが、漢字は書けない。
Maiはプラム、Lanは華の名前だというので、
「梅蘭」だろうと教えたが、意味まで知ってるのに、
元になる漢字を知らないなんて、なんだか不思議。

5,6人で集まって、いろいろフランスの素人読者漫画状況を探る。
思ったよりもずっと、みんな本気で読んでいる。
BDは古くさくて面白くないが、日本の漫画は面白いそうだ。
でもやっぱり、読んでるのは、アニメで流行った漫画の原作が多い。
今回、ここでまだ読んだことのない漫画を沢山知って興味深いとはいっていたが、
はたしてどのくらい面白がってくれたかな。
夏目が取材を受けたフランスの記者に、
日本の女性は男のあとをついてくような人ばっかりだと思っていたが、
そうじゃないことがわかったといわれたそうだ。
それは、南Q太あたりを読んでの感想だったらしい。
今回の展示が、フランスにおける日本漫画の
新しい理解の一助になればいいが。
ぼくが大熱を出しても受けを取ろうとした甲斐もあろうというものだ。

夜に、イランくんと、ソルボンヌの女子学生とラショウくんで飯を食うことにする。
ところが、ラショウくんとうまく連絡がつかず、結局4人でいくことにする。
場所はいろいろ健闘した結果、
ホテルのフロントにお薦めレストランを聞くことにした。
フロントの兄ちゃんは、3つ候補を上げた。
とりあえず、一番近い店を覗いてみることにする。
女子学生が、メモを見ながら、
「そこは元運転手が始めた店だそうです」と日本語で我々にいう。
えーっ、運転手の店かあ。
なんだか「走れ歌謡曲」聞きながら深夜の長距離飛ばしてる雰囲気である。

まあ一応いってみることにして、表から見たら、わりと小じゃれている。
運転手でもいいから、ここにしとこう、日本でも運転手は
うまい店知ってるとかいうし、とみんなでぞろぞろ入る。
家族でやってる店らしく、初老のオヤジと妻らしきオバサンと若い男がいた。
壁に白髪の男がレーシングカーのコクピットに入ってる写真があった。
あれはあんたか、と英語で聞くと、いやあれは私の父だと英語で答える。
父はフェラーリのドライバーだったんだ、と胸を張った。
おいおい、運転手って、レーサーのことか。
それはえらい違いだぞ。

料理は、まずまずだった。
美味しいというほどでもないが、まあリーズナブルというやつだ。
ゆうべの、3人で10万の店とは違う。
それにしても、イランくんは、この店の馬鹿甘いデザートを、甘くないという。
それなのに、日本のお菓子は甘いという。
今度日本にきたら、
とりあえずはうまい日本の和菓子を食わせてやる約束をして、みんなと別れた。

さて、最終日だ。
今日で、パリともお別れだ。
午後の3時に、ホテルに迎えがくる。
それまで街でも歩いてこよう。
ぼくはちょっと足を延ばして、サン・スルピスの街にいくことにした。
サンジェルマンのひとつ手前の街だ。
ここにいい服屋がある、とけらが、わざわざ出発前にFAXを送ってきた。
じゃあ一応いっとかないとな。

服屋はあんまり気に入らなかったが、街はよかった。
シックですいてて、美しい。
ぼくはすっかりのんびりと、最後の日を楽しんだのだった。
じゃあそろそろホテルに帰ろう、と思ったのだが、
ふと思いついて、シャンゼリゼにいってみることにした。
まだ凱旋門を見てなかった。
なんの興味もなかったのだが、エッフェル塔と並んでパリのシンボルだし、
見るだけ見ておこうかな、と思ったのだ。
メトロを乗り換えて、ジョージXで降り、地上に上がって、ぼくは驚いた。
こりゃすごい。
こりゃ、観光客がくるわけだ。
名古屋の100メートル道路みたいなだだっ広い道の両脇に
普通の道路くらいの歩道がずっと続いていて、
そこにカフェや土産物屋やブランド屋やアーケードが、ぎっしりとある。
おまけに、突き当たりには凱旋門だ。
ものすごく派手なのだ。
原宿の表参道が、シャンゼリゼと兄弟都市になってるが、
もうまるでおこがましい。
ゴージャスさが違う。
いやー、ほんとに大したもんだ。
ぼくはカフェでコーヒーとパイを食べて、ホテルに戻ったのであった。

トランクに荷物を詰めて、フロントに降りた。
夏目といっしょに待っていると、ほどなく文化会館の高須さんがきた。
若いフランス人が運転する車で、シャルル・ド・ゴール空港へ。
ブローニューの森を抜ける。
もっとうっそうと茂った森を想像していたが、
あんがい整備された、綺麗で広い森だ。
高速道路で郊外に向かうと、工場が見え始める。
飛行機からは畑ばかりが見えたので、
工場地帯はパリ近郊にはないのかと思っていたが、
そうでもないようだ。

空港に到着した。
高須さんにお礼をいって、チェックイン。
最後の買い物を少しして、飛行機に乗る。

パリは、いい街だった。
次は、二人で歩きたい。

滑走路で順番を待っている間に、夜になった。
飛行機は滑走路をまっすぐ走り、それから、地面を蹴った。
地上の明かりが傾き、すぐに見えなくなった。
〈完〉

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