【これが真実だ】
92年に、『コミックトム』で連載していたコラムに書いたものだ。
蛭子さんは、この後一度も会ったことがないといってたらしいが、
もちろんいろんなところで、何度か顔は合わせている。
蛭子さんは、あんまりいい人じゃないかもしれないな。



 つい先日、《東京乾電池》の芝居を観にいった。
この劇団には、蛭子能収さんが役者のひとりとしてずっと出ているのだ。
 劇場の裏口から入ると、向こうから、蛭子さんが歩いてくるのが見えた。ぼくは、手を振った。
彼は、ぼくに気づくと、両頬に手を当て、真っ青になって、叫んだ。
「ああーっ!!」
 これには、わけがあるのだ。
 1年くらい前、ぼくはやはり乾電池の芝居を観に、新宿の紀伊国屋劇場にいった。そして、
観終わったあと、蛭子さんとロビーでしばらく立ち話をしていた。そこへ、蛭子さんの奥さんが や
ってきた。そして、蛭子さんは、奥さんにいったのだ。
「こちら、漫画家のとがしやすたかさん」
 ぼくは驚いた。
「蛭子さん、オレいしかわですよ」
 彼は、はっとして、しばらくぼくを凝視し、それから、叫んだ。
「ああーっ!!」
 見る見る顔が真っ赤になった。
「いや……、あの……、ついこないだ、とがしくんと会った時、きみはいしかわさんに似てるねえっ
て話してたんですよー、だから、あの……、ええーっ!?」
 狼狽えまくって、蛭子さんはぼくと奥さんの顔とを交互に見て、油汗を流したのだ。
 不思議な人である。ついこないだ、ぼくととがしとが似ているということを確認し、その上、似て
いるもう片方のとがしと会っておきながら、ぼく本人ととがしとの区別が全然ついていなかったのだ。
 しかし、これも蛭子さんの持ち味である。ぼくは大笑いし、それでもう、その件は忘れてしまって
いたのだ。
 今回の乾電回の公演は、知合いの編集者と一緒に観にいくことにした。彼女は、蛭子さんの
担当でもある。そしたら、ある日、彼女がいうのだ。
「いしかわさんが観にいくっていったら、蛭子さん、物凄く脅えてましたよ」
「え……、どうして?」
「いしかわさんきっと、すごく怒ってるだろうなあ、って」
「怒ってるって……、まさか、あんなことで怒るわけないじゃないかー」
 というわけなのだ。
 本多劇場の通路で、蛭子さんは、青くなって立ち竦み、それから恐る恐るいった。
「あ、あの、Tシャツ要りませんか……!?」
「え……?」
「Tシャツ、作ったんですけど、あ、でも、要りませんよね、そんなもの……!?」
「いや、喜んでいただきますけど……」
「あ、じゃ、楽屋へちょっと……!!」
 蛭子さんは、ぼくの手を取らんばかりにして、楽屋へ案内した。
「これ、つまんないもんですけど……!!」
 蛭子さんは、ぼくの手に、蛭子さんのイラストの入ったTシャツを押し付けた。
「どうもすいませんねえ、差入れも持ってこなかったのに」
「あ……、単行本も出たんですけど、でも、要りませんよね、そんなもの……!?」
「いや、なんでもいただきますけど」
「そうですか、じゃ、あの、ゴミ箱に捨ててください、これ……」
 蛭子さんは、自分の新刊を、大汗かいてぼくの手に握らせるのだ。
 ぼくはすっかり恐縮して、早々に楽屋を去ろうとした。
「あ……、そうだ、貰ったお菓子があったんだ……、あれも持ってってください!!」
 そして蛭子さんは、楽屋通路に置いてあった冷蔵庫に小走りに急いだ。
「いいですよ蛭子さん、そんな、蛭子さん、いいですったら、蛭子さーん……!!」
 ぼくは断言するが、蛭子さんは、ほんとにいい人である。