【イタリア旅行記】

イタリアで以前会ったオヤジは、アンドレアという。
先週アンドレアに手紙を出しておいた。
近いうちにナポリにいくから会わないか。
でも、どうもそれは無理なようだ。
先日、たどたどしい英語のメールが届いた。
出した手紙にメールアドレスの入った名刺を入れておいたので、
それを見て返事をメールでくれたのだ。
10年前、文通していた時には、ぼくが英語で書いた手紙を、
末息子のピエルルイージがイタリア語に翻訳してオヤジに渡していた。
アンドレアの3人の息子は、全員英語が堪能なのだ。
上のふたりは大学生。
翻訳してくれるピエルルイージは、まだ16才の高校生だった。
アンドレアはインテリのくせに、英語ができないのだ。

あれから10年経った。
ピエルルイージも、もう26才だ。
きっと大学を卒業して家を出ただろう。
家には、アンドレア夫婦だけではないかと思う。
英語の手紙を出して、誰か読める人間はいるかなあと危惧していたのだが、
なんとか読むことは読んだようだ。
アンドレアの返事は、短かった。
たった3行だ。
おまけに、3行しかないのに間違いだらけだった。
英語を少しはできるようになったんだろうか。
意味は、なんとかわかった。
今回会うことは、無理のようだ。
See you son.
というのは、See you soon.だな。
すぐ会えるというよりも、また会おうといいたいようだ。
いつかナポリでまた会おう。

どんでん返しだ。
アンドレアからまたメールが来た。
今度は、わりと英語になっていて、もっと長いメールだった。
どうやら、英語のできる人間を見つけたようだ。
ナポリで会うことになりそうだ。
ぼくが送った長文の英語の手紙をできない英語力で読んで、なにか勘違いして会えないと思っていたらしい。
それを誰かに正確に翻訳してもらって、勘違いに気づいたんじゃないかと思う。
I AM VERY PLEASED TO MEET IN NAPOLI
俺もだよ、アンドレア。
問題は、イタリア語のできないぼくと、英語のできないアンドレアが、どう意思の疎通をするかだ。
アンドレアは、こういっている。
we will speak English by dictionary.
まあ10年前にも、同じ状況の辞書なしで2時間も話したんだからな。
なんとかなるだろう。
待ってろよ、アンドレア。

どんどんアンドレア続報。
さっき、アンドレアから電話がきた。
寝てたら電話が鳴って、出たら「ユン?」と誰かが言う。
なんだユンって、と思ったら、それがアンドレアだった。
イタリア語で「JUN」は確かユンだな。
「アンドレア?」と聞くと激しく肯定する。
イタリア語でなにかいった後、いきなり違う人が出た。
オヤジかオバサンだと思うけど、性別がわからない。
なにか話してるんだけど、もちろんなにをいってるのかわからない。
これはいったい誰で、なにを喋ってるんだ。
しばらく聞いていたら、わかった。
物凄くイタリア訛りの強い英語だったのだ。
ネイブルルルルで電話しろとかいってるんだけど、なんだそのネイブルルルルルって。
それは、neighborのことだった。
長いこと話したんだけど、3分の1もわからなかった。
まあ携帯電話がわかったから、電話すればなんとかなるだろう。
電子辞書って手もあるかなと思って量販店に見にいったら、凄く高くて驚いた。
3万とか4万とする。
うーん、たった数日なのに、ちょっと投資額高すぎだよなあ。
さて、どうしたもんかな。

イタリアにいってきた。
ローマから入って、ナポリにいき、ついでにサンタガタという小さい町にいってきた。
なんだか今回の旅行は、不思議だった。
特に、サンタガタがね。
明日から、少しその話を書こう。
今日は、もう寝る。

トップの写真は、アンドレアだ。
久し振りに引っ張り出してみたら、アンドレアは案外若かった。
もっとも、11年半前だ。
ぼくだって、今よりもだいぶ若い。
最近は、口髭も顎鬚ももっとコンパクトにしてるし。
ぼくが着てる緑のセーターは、記憶がある。
いってみたら案外に寒く、慌てて買ったベルサーチだ。
今回のイタリアは、天気予報を見る限りでは、けっこう暖かそうだ。
帰りに衣装が増えてたりしないといいんだがな。
さて、11年半後のアンドレアは、どんなオヤジになってるかな。

さて、イタリアの話だ。
4月の1日に、成田を発った。
まずは、12年ぶりのローマだ。
泊まるのは、五つ星バリオーニ。
でも、部屋に入ってみたら、窓からの景色がないんだよなー。
隣のホテルの窓と壁しか見えない。
まあ夜しかいないから構わないといえば構わないんだけど、
やっぱり朝起きた時、外の景色が見えた方がいい。
黙って窓の外を見ていたら、スーツケースを持ってきたボーイが気に入らないかと心配そうに聞く。
そりゃ気に入らないよな。
ボーイはフロントに電話をして、それをぼくに渡す。
仕方ないんで、フロントともっと外の見える部屋にしてくれと交渉する。
ほかの部屋も見て、またフロントと電話して、
とにかくもっと広くて綺麗で外の景色のいい部屋にしてくれと主張して、
その通りの部屋を日本代表のクレーマーとしてゲットする。
かなり快適。

イタリアでは、やっぱり飯が楽しみだ。
そう長く居られるわけではないんで、どんな飯を食うかは非常に重要だ。
初日の夕食は、コンシェルジュに聞いた近所のレストランだった。
まあピザももちろん旨いんだけど、
今まで美味しいといわれるモッツァレラも食べたけど、全然違う味だった。
クリーミーでジューシーで、口に入れるとふわっと幸福になる。
いやー、本場ナポリが楽しみだ。
ベッドも枕も、珍しく寝やすくて、時差ボケもなく熟睡。
まあ世界中どこにいっても時差ボケなんてなったことないんだけどね。
毎日時差ボケみたいな生活だから。

市場にいってきた。
駅前にピラミッドの建っている町なんだけど、ここの市場がもうなんだか信じられないほど巨大なのだ。
遺跡みたいな門を潜ると、その先が、地の果てまでも市場だ。
両側に白人の衣料品や家庭用品、食べ物屋の屋台が並び、
通路の真ん中には黒い人たちが両手に50個くらいずつパチモノブランドバッグを持って立っている。
いやってほど歩いたら、またその先が枝分かれして、地の果てまで続く蚤の市になっている。
書画骨董や家庭用の贅沢品みたいなものを、安く売っている。
そのへんで買い食いしつつ、いったい何時間歩いたかな。 9割くらいは見たと思うが、あとは放棄した。
あんなに広い市場は初めてだ。
朝市も近くでやってるはずだったんだけど、日曜だったんで閉まってた。
こちらは、屋根のある市場だった。
▽ たぶん地下鉄でコロッセオにいったんじゃなかったかな。
円形の闘技場は広いでも、駅前の広い芝生で若もんが昼寝したり語らってたりして、悪くない雰囲気だ。
コロッセオだけでなく、周りにも巨大な遺跡が林立している。
ローマは、遺跡の街、歴史の上に築かれた都市なのだ。
ぶらぶら散歩しながら、ゲットーに向かう。
ここら一帯は、迷路のような道が縦横に入り組んでいて、
路地の奥には洗濯物が翻っている。


ローマが永遠の都であることを納得させられるいい散歩コースだ。
南米音楽をやる人たちの大きな音が場違いで迷惑だが、それ以外はほんとにいい。
でもやっぱり、テスタッチョやゲットーみたいな下町の元気のいいところが好きだな。
市場が立って、人が集まって、BARでオヤジたちが小さなカップのエスプレッソに砂糖を5杯も入れて、
おまけに甘い甘いドルチェを食べているようなところが好きだ。
イタリアの男たちは、甘いものに目がない。
ちなみに、BARバールというのは酒場ではなく、喫茶店というか甘いもの屋というか軽食屋というか、
そのすべてみたいな気軽なとこだ。

ローマでは、野良猫をあまり見ない。
少なくとも、市街地では見ない。
でもその代わり、遺跡では大きな顔をしてのさばっている。
まあそりゃそうだ。
広いし人は来ないし適度に屋根があって凸凹があって、
猫にのびのび遊んでくれといわんばかりの場所なのだどの猫も、日本の猫と同じだ。
猫が棲処にするくらいでは、遺跡もどうってことはないだろう。
せいぜいおしっこ臭くなるくらいだ。
ぜひ駆逐しないで猫王国を築かせてやってほしいもんんだ。

 ローマからナポリまでは、ESスターという速い電車でいった。
新幹線みたいなものだ。
前日、ローマのホテルのコンシェルジュに頼んで、
アンドレアに電話して貰ったのだ。
そしたら、アンドレアはナポリ中央駅のホームでぼくらを捉まえてくれるというのだ。
電車がナポリに着き、乗客がわらわらと降りていった。 
窓から覗くと、ずいぶん白髪の増えたアンドレアが、うろうろとぼくらを探している。
ぼくは急いでESスターを降り、
そしてホームで、ぼくらは12年ぶりに再会したのだ。
ありがたいことに、綺麗な英語が話せる姪が一緒だ。
翻訳家をやってるらしい。
アンドレアは、歯がすっかりボロボロになっていた。
年を食ったんだなあ。
といってもまだ62歳だったけど。
ということは、前に会った時には、今のぼくよりもずっと若かったんだ。
レストランに入り、美味しいご飯を食べながら、この12年の人生について語り合ったら、
なんとアンドレアは出世して、高校の校長先生になっていた。
明日は忙しいんで駄目だけど、あさってうちの町に遊びにきてくれという。
ナポリからは、高速を使って1時間くらいだという。
それはぜひいきたい。
3人の息子は、やはりもう成人して家を出ていた。
すると、通訳はこの子がずっとやってくれるんだろうか。

ナポリのホテルは、卵城の真ん前、ホテルサンタルチアだ。


五つ星だが、それほどでもない。
目の前は海、ちょっと歩けば王宮。
でも、そちらには目もくれず、ぼくらは街に向かって歩いていったのだ。
やっぱりナポリは、街が面白い。
雑然として、人の匂いがある。
中央駅の周辺は、屋台やら物売りやらで、あふれかえっていた。
アンドレアの車で市内を横断してきただけで、街の色はみんなわかった。
ここは、好きな街だ。

そこの通りに面した正面に、彫刻の人物像が並んでいる。
そのうちの一体が、どうもさいとうたかを作のようだ。
どう見ても何度見ても、さいとうたかをだ。
劇画風の作風なのだ。

それも、比較的最近の作風だ。



ちょっと探せば、これとそっくりの絵柄があると思う。
さいとうたかを、畏るべし。

ナポリ3日目に、アンドレアが車で迎えにきた。
アンドレアの町サンタガタまでは、車で1時間くらいだ。
高速に乗り、また下道に降り、車はどんどん田舎に向かっていく。
こんな田舎町なのか、と思っていたら、目の前に深い緑の谷が現れた。
その谷に、古くて巨大な橋が架かっている。
その向こうに、サンタガタS.Agataはあった。

いつか夢で見たような、
なんだか考えつかないほど美しくて古くて大きな町。
そのあまりの美しさに、言葉を失ってしまう。

アンドレアの高校に案内される。
アンドレアは、会わないでる12年の間に、
校長先生に出世してたのだ。
高校は、全校で700人もいる大きな学校だった。
端を渡った左側にあるオールドシティと右側のニューシティに、
校舎がひとつずつあるらしい。
校長室に通されると、手の空いてる先生が集まってくる。
英語の先生がふたりいたんだけど、
発音が物凄くイタリア訛りでわかりにくい。
「Thank you verrrrrry mucccchi!」
というような巻き舌と母音の多い発音だ。
きっとぼくの日本訛りもわかりにくかったとは思うけど、
あの発音を生徒に教えちゃいかんよな。

カートゥーンコースがあるから、
生徒たちの作品を見てやってくれと頼まれたんで引き受けたら、
大教室に連れて行かれて、生徒たちと一緒に見ることになる。
イタリアは、アニメがけっこう盛んなようだ。
ナポリはすぐそばのリゾート海岸で、
大きいアニメフェアのようなものをやってるらしい。
アンドレアがトエイのプレジデンツァと会ったというんで
なんの話かと思ったら、東映の社長がきてたらしい。

生徒たちにもなにか話してやってくれというんで、
英語の先生の通訳つきで話す。


その後、視聴覚室に移って、
ぼくのサイトを見ながら漫画の解説なんかをする。
話を聞いてみると、漫画家になりたいというよりも、アニメをやりたいようだ。
まあイタリアでは、そちらのほうが現実的だろうな。
生徒たちは、いきなり極東の島国日本からやってきた
校長先生の知り合いの漫画家をどう思ったかな。

アンドレアの家にいって、ご飯を御馳走になった。
でもその前に、家の中をひと通り案内してくれて、お茶が出たと思ったら、
ちょっと用事があるんで留守番しててくれ、と
アンドレアは妻とふたりで出かけてしまった。
そのまま2時間くらい帰ってこない。
まあ信用されたんだろうけど、田舎の人だよなあ。
アンドレアの家には大きな畑があって、オリーブが植えてある。
地下室には食料庫があり、自家製のトマトソースが便に詰めてずらりと並べてある。
奥さんも学校の先生で、インテリ夫婦で収入もあって、町の名士で、
なかなか楽しそうな生活だよな。
帰ってきたアンドレア夫妻と美味しい食事をして、街をぶらりと歩いて、
またアンドレアの運転する車でナポリに戻った。
帰りの車の中で、アンドレアの携帯電話に、
昔は高校生だったピエルルイージから電話があった。
おまえが手紙翻訳してたジュンが日本からきてるんだよ、というようなことをいって、
アンドレアが携帯をぼくに渡す。
やあピエルルイージ、元気にしてるか、といったんだけど、
どうもモゴモゴいっててはっきりしない。
英語はあんまり喋るの得意じゃないんだ、というんだけど、
手紙はずいぶんちゃんとした英語だったのになあ。
会話が駄目なのは、日本人だけじゃないな。
ホテルの前で、アンドレア夫妻と別れた。
今度はそちらが日本にこいよといったら、
俺たちはもう年だから無理なんで、ジュンがきてくれという。
まだそんな年じゃないんだがなあ。
まあいいや。
またいつか会おう。
ナポリで会おう。
▽▽
▽▽
なぜだか、プレゼントはちょい悪ミッキーが一番人気だ。
だったらもっとこの手のを買ってくればよかったなあ。
でも、これってナポリ空港の売店で見つけたんだけど、
どう見てもディズニーの承認があるとは思えないよな。
そんなもの空港の売店で売っていいのか。
でもそれがイタリアで、おまけにナポリなんだな、きっと。
しかし、なんて書いてあるんだか、さっぱりわからない。
翻訳サイトで訳してみても、意味不明。
きっとナポリ言葉のスラングばっかりなんだろうな。
誰かわかる人はいないかな。
▽ちょい悪ミッキーたちのセリフは、さっそく訳してくれた人がいた。
トロント在住の木村さんだ。
やはりナポリ訛りのセリフだったようだ。
ちょっと引用させていただくと、こんなことだ。

 留学生(女性)がいましたので,さっそく尋ねてみました.
<原文>

LINU: PEPP' PASSAM A MAZZ. CA' FORA NC' E' STA'NA ZOCCOLA ENORME!!
PEPP: LINU, CHELLA E' MUGLIERETA MINNELLA!

<試訳ー英語なるべくもとの語順を維持>
Mickey: Pluto, pass me the scrub brush. Outside,there is a big rat!!
Pluto: Mickey, that's your wife Minnie!

<試訳ー日本語>
ミッキー:プルート,デッキブラシを渡してくれ.
外に大きなネズミ(あばずれ女)がいるんだ!!
プルート:ミッキー,ありゃお前のかみさんのミニーだぜ!

註1) 原文下線部はすべてナポリ特有の言い回し.ほとんどですね.
註2)プルートのことをPEPPという理由はわからないとのこと
註3) 英語のRatにあたるZOCCOLAはBitch(あばずれ)の意もある.
註4)イタリア語ではミッキーマウスのことをトポリーノ(Toporino)というが,
それをナポリ風にいうとリヌゥ(Linu)になる.
註5)同様にミネッラ(Minellla)はミニーのナポリ風発音らしい.

いやなるほどね。
そんなことになってたんだな。
あの窓の外の影はミニーなのか。
ミッキーも悪そうだけど、きっとミニーも悪いんだろうなあ。